「できること」と「したいこと」の対立ではなくて

 小さいころから勉強が得意だった。

 高校生のときには周囲から「大学教授になりそうだね」と言われていたし、自分でも将来は研究者になるのだと思っていた。人より得意なことなんて勉強くらいしかなかった。それだってべつに、教科書を読めばすべて覚えられるとか、授業を一度聞いただけで何もかも理解できるとか、そういう類の特殊能力があったわけではない。ただ人よりも真面目で、物事を考えつづける癖があるだけだった。そして、勉強ができるようになるにはそれで十分だった。

 

 大学で専攻を決定するとき、ちょっとした手続き上のミスがあって希望する研究室に入れずに、定員の割れている研究室に配属された。そこの研究室での勉強もとても楽しかったのだが、その分野で大学に残るほどの熱意は持てなかったので、もともと希望していた分野の大学院を受験して専攻を変えることにした。入試勉強はそれほど苦ではなかったし、志望大学院に合格したときは、自分の研究者人生がようやくここから始まるのだと思った。

 

 

 けれどしばらくして私は研究への興味を失ってしまった。先行研究の問題点は分かる。いまどんな研究が必要なのかも分かる。けれどその研究を自分が進めていくことに何の興味も持てなくなっていた。

 

 初めは、研究生活がハードすぎて疲れているのだと思った。実際、平日も休日も関係なく、毎日朝から晩まで研究をしていた。だから少し休めば興味も回復するだろうと軽く考えていた。

 

 だが、どうもそうではないようだった。一週間ほど大学院を休んでも、研究への興味は取り戻せなかった。次第に私は自問自答を繰り返すようになった。自分はほんとうに研究が好きなのだろうか? そもそも研究がしたくて進学したのだろうか? 考えれば考えるほど、残酷な答えの輪郭が明らかになっていった。私は初めから学術研究に興味を持っていなかったのだ。私はずっと「できること」にしがみついてきただけだった。

 

 私は勉強ができた。研究者としての素養もそれなりにあったと思う。けれど、研究を「したい」と思えなかった。そしてそんな私とは対照的に、私の周りには、研究で結果を残すためなら労働時間など気にならないほどに研究を「したい」と思っている人間がゴロゴロ転がっていた。

 

 研究者は頭脳労働ではあるが、アスリートに近い職業なのだと思う。私は人より足が速いだけで走るのが好きなわけではなかった。一方で、周りには足が速くて走るのも好きな人間がいた。もし競争の激しい分野でなければ、走るのが速いというだけでなんとなく生きていけるかもしれない。けれど、ごく限られた人間だけが職に就けるアカデミックの世界では、コンスタントにメダルを獲得しつづけることが必要だった。周りが時間も忘れて楽しそうに走っていくなか、私は走ることが苦痛になっていった。過酷なこの業界では「したい」という情熱がなければ、結局は生き残っていけないのかもしれないと私は思うようになった。

 

 研究者になる、という目標が霞んでしまった私にとって、大学院に留まる理由は何もなかった。けれど、「できること」を中心にして世界を組み立ててきた私は、それを簡単に手放すことができなかった。「できること」がなくなれば、どうやって社会で生き残っていけるというのだろう? だがもはや自分には、「できること」を続けていくだけのバイタリティもないようにも思えた。私は迷った末、指導教官と相談して、冷静になるために半年間大学院を休学することにした。

 

 大学院を休学すると奨学金がもらえなくなる。生活費を捻出するためにバイトを始めるにあたって、研究職に就いている人たちは自分の「したいこと」を職業にしているのだ、という認識だけが頭に残っていて、私も「したいこと」をしてみたい、と思った。けれど、「できること」ばかりしてきた私は自分の「したいこと」が何なのか、よくわからなかった。あれこれ悩んでいても貯金は減っていく一方なので、ウェブの求人情報の中からあまり深く考えずに二つのバイトに申し込んだ。引っ越しの手伝いと、ゲストハウスの夜勤スタッフだった。

 

 引っ越しのバイトは体さえ動かしていれば何も考えなくて済んだので楽だったけれど、仕事が楽しいとは思わなかった。

 

 ゲストハウスの夜勤は、日中は体を動かしているし夜は座ったままでできる楽なバイトを探そう、と思って見つけたものだった。そういう動機で始めたのに、これが意外と性に合っていた。ゲストハウスにはいろんな人が泊まりに来る。受付に座って宿泊客と言葉を交わすうちに、世の中には多種多様なバックグラウンドの人間が溢れているのだと再認識した。海外からの旅行客。何ヶ月も泊まっている日本人。彼ら彼女らの話を聞いていると、自分の知らない世界を垣間見ることができた。人間ひとりひとりに、それぞれその人だけが経験した事柄があって、それに基づいた考え方や価値観がある。誰ひとりとして同じ人間はいないという事実が私の興味を掻き立てた。そこでようやく、私は人と関わることが好きなのだとわかった。

 

 

 自分の「したいこと」には気づいたものの、それでも私はまだ大学院を辞める決心をつけられずにいた。大学院生活をなんとか続けていけば、もしかすると自分の研究能力を生かした職に就けるかもしれない。そうするとおよそ安定した収入・生活が見込めるだろう。どうしても「できること」を手放す踏ん切りがつかないまま時間は過ぎていった。

 

 半年間の休学期間が終わりに近づいたころ、私は迷いを抱えたまま研究室に足を運んでみた。研究室のメンバーは変わらず研究に取り組んでいて、その姿が私の目には楽しそうに映った。それを見た瞬間、私の気持ちは固まった。

 私にも楽しいと思えることがある。私もここではない場所で、楽しんで生きていくことができる。そして、研究を続けている自分より、楽しんで生きている自分のほうが好きでいられるはずだ。それが何より――生活の安定や収入などより――重要なのだと、私は突如理解した。それで、その日のうちに退学届を用意して指導教官のサインをもらった。

 

 

 

 私はいま温泉街にあるカフェバーで接客業をしている。

 

 

 

 この話を「できること」よりも「したいこと」をやるべきだ、という分かりやすい教訓譚にするつもりはない。「したいこと」をしていても、どうしようもなく辛い出来事は待ち受けているし、「できること」にしがみついていた日々を全くの無駄だったとも思わない。実際、自分の「できること」だった勉強が、今の私を支えてくれることも多々あるのだ。例えば日本語を話せない外国人観光客が来たときには、語学を真剣に勉強していたかつての自分に助けられている。あの日私は「できること」を捨てて「したいこと」を選ぶのだと自分を奮い立たせながら、他方で「できること」を捨て去ることに怯えていた。けれど、そんな二元論で片付くほど人生は単純ではなかった。

 

 ただ私がはっきりと言えるのは、私にとってこれが最善の選択だったということだ。私はここで生きている自分のことを好きでいられる。そして、自分の現状を肯定することさえできれば、どんな過去の経験も、肯定まではできないにしても受容しやすくなると私は思う。

 だから、私は道に迷ったときは、その選択をした自分を好きでいられる方に進むことにしている。