安田純平氏というより対応バイアスについて

ジャーナリストの安田純平氏が解放された。拘束から実に3年4ヶ月という月日が過ぎての解放である。

拘束されないに越したことはないが、拘束されてしまった以上、一つの命が失われなかったことにひとまず安堵している。おそらく支払われたであろう身代金が組織の活動資金となるかもしれないという推測はできるので、そこについては批判されて然るべきとは思うものの、解放された今、救われた命に対して「死んでくれればよかった」と言うのはまた別問題である。

 

 

 

今回の件についてインターネット上ではいつも通り自己責任論が幅をきかせている。

「法律で禁止されているところに勝手に行って勝手に捕まって税金の無駄使いだ」とかそういうやつである。(シリアへの渡航は法律で禁止されているわけではない。また、身代金を払ったのは日本政府ではないという情報があるので、続報を待ちたい。念のため)

 

 

書くべきことが山ほどある。

 

ジャーナリズムの意義と役割、とか、ジャーナリストは権力や体制から離れた存在であるべき、とか、自分たちから離れたところで起こるテロや紛争とどう向き合うのか、とか、嫌韓論と日本のナショナリズム、とか、インターネット上のデマや一次情報の重要性、とか。

本当に山ほどあるが、これらについては現状、私の手が回らないので、専門とする人が何か書いてくれるだろうと期待するにとどめ、ここでは扱わない。すみません。誰か書いてください。(あと、話は大きく逸れるが、最近の麻生太郎氏の医療についての発言など、福祉や社会保障が問題になるとすぐに「我々の税金が~~」論が出てくることについても誰か書いてほしい。だれかーーー!)

 

 

ここでは、安田氏への非難のひとつ、「本人は自己責任論を振りかざして政府の制止を振り払いシリアに入ったのに、拘束されたときの動画では日本政府に向けて命乞いをしている。自己矛盾ではないか」「本人は動画で韓国人を自称していたのだから日本政府が助ける必要はない」というものについて走り書きを残しておく。(私は本人が実際に自己責任論者なのかは把握できていないが、仮に本人が実際に自己責任論者であったとしても、拘束されてしまえばもちろん自己責任で済む話ではない。しかしそもそもジャーナリストが自己責任論をかざさねばならない状況自体にも問題があるのではないか。これも誰かちゃんと書いてるのかな?書いてたら教えてくれると嬉しいです)

 

 

 

本題ここから。

 

「対応バイアス」をご存知だろうか。

これは「根本的帰属のエラー」とも呼ばれる、人間の認知の癖のことである。

 

wikiを参照したい。

 

人間は人の行動を根拠なくその人の「種類」によって決定されていると見る傾向があり、社会的かつ状況的な影響を軽視する傾向がある。また、自身の行動については逆の見方をする傾向がある。

根本的な帰属の誤り - Wikipedia

 

 

つまり、私たちは他人の行動について、状況を考慮せずに、その人の内面(思想、性格など)に原因を求める傾向にある、ということだ。

これについてはカストロ・エッセイ実験が面白いのでそちらも興味があれば参照されたい。

 

1967年、心理学者のEdward Jones氏とVictor...

 

 

 

今回扱う安田氏への非難についても、この対応バイアスが見受けられる。

 

「拘束されたときの動画では助けてくださいなどと政府に命乞いをしているのは自己矛盾ではないか」あるいは「動画で『私は韓国人です』と言っている人を日本政府が助ける必要はない」と非難している人は、安田氏の置かれた状況、つまり氏に向けられた銃を見落としている。あの動画において、氏は言論の自由が極限まで奪われた状態なのだ。

それなのに、上記の非難を行う人たちは、何を語るかについての自由がこれほど脅かされた状況に置かれている人の言葉を、なお、本人の意思でもって発されたものだと認識している。

 

 

この対応バイアスは誰もが持っている。だからこそこれを「『根本的』帰属のエラー」と呼ぶのだ。人間のものの見方は歪んでいるものだから、この記事は対応バイアスをもって物事を見ている人を批判するためでなく、そのバイアスの存在を広めるために書いた。

 

実際のところ、対応バイアスは実生活でもしょっちゅう起こっている。

一方で、このバイアスは自分に向けては逆向きに作用する。つまり、他者の行動はその性質や内面に、自分の行動は外的な要因に求めてしまう傾向があるということだ。

 

体調を崩して会社を休んだらサボりだと思われていたり、なのに、誰かが会社を休んだらサボりだと思ったり。

 

 これがすれ違いの原因となって人間関係に影響を及ぼすこともある。この知識が目の前の相手についての誤解をとくためのひとつの鍵となってほしい。