合コンテク「さしすせそ」より「せ」についての一考察
少し前から話題になっている動画がある。雪印「重ねドルチェ」のCMだ。
0:52~「できる女のさしすせそ」に注目してほしい。
合コンでモテるテクニックとして「さしすせそ」が紹介されている。
さ「さすが〜!」
し「知らなかった〜!」
す「すご〜い!」
せ「センスいいですね〜!」
そ「そうなんだ〜!」
この「せ」について記述していく。
なお「こんなテクで喜ぶ男はバカだ!」とか「こんなCMを作るなんて何を考えているんだ!」といった意見もあるだろうが、ここでは取り上げない。
「合コンさしすせそ」の裏にある考え方
「合コンさしすせそ」が「男はとにかく褒めておけばいい、持ち上げておけばいい」という考え方に立脚したモテテクであることは疑いようもないだろう。実際、このような意見は巷にありふれている。
「さ」「し」「す」「そ」
それを踏まえてひとまず「し」「そ」を考察する。
「知らなかった」:相手の知っていることを自分は知らなかったという意味。自分よりも物事を知っている相手を尊敬していると考えられる。
「そうなんだ」:相手の知っていることを自分は知らなかったという意味。自分よりも物事を知っている相手を尊敬していると考えられる。
このように、相手を尊敬し、一段上に置こうとする姿勢が共通して見て取れるだろう。
次に「す」
「すごい」:感嘆に値するほどすばらしい
分かりやすい尊敬の念の表明だ。
続いて「さ」である。
「さすが」:評判や期待の通りの事実を確認し、改めて感心するさま
これも「し」「す」「そ」と同様に、相手への尊敬の念が表れていると考えてよいだろう。
「すごい」ほど直接的ではないが、「前々からすごいと思っていたけど、やっぱりすごいね」という気持ちを表す。以前から一目置いていたとアピールできるところがポイントだろう。
「せ」の異質さ
では「せ」について考えてみたい。
「センス」:物事の微妙な味わいを感じとる心の働き。また、それを具体的に表現する能力
センスをこの定義通り解釈すると、相手にセンス(物事の微妙な味わいを具体的に表現する能力)があるかどうかは、センス(物事の微妙な味わいを感じとる心の働き)のある人間にしか分からないことになる。
つまりここには「センスの有無を判断する側は、そのセンスを持っている」という暗黙の理解がある。
具体的に、センスという言葉の使われ方を考えてみたい。
「ファッションセンスがある」「色彩のセンスがある」「発音のセンスがいい」
どれも「センスがある」人間が発することの多い言葉ではないだろうか。
「センスのない」人間が「センスいいね」と他人を褒めようものなら、「何もわかっていないくせに」と一笑に付されてしまうだろう。
「せ」は褒めているものの、相手を持ち上げる「さ」「し」「す」「そ」とは違い、相手を自分と同等程度に見ているのだ。
なぜ「せ」だけ敬語なのか
ここで冒頭の動画に戻りたい。「せ」は「センスいいですね〜!」だ。違和感を抱かなかっただろうか。
さしすせその中で、唯一これだけが敬語である。
先ほどまでの議論を踏まえると、なぜ「せ」だけが敬語であるかがお分かりいただけるだろう。
「センスあるね」という褒め方は、相手を持ち上げる力が弱いのだ。
そのため、敬語を使うことで「センス」という文言を上下関係に組み込み、相手への尊敬の念の表明としているのである。
余談
テレビで「合コンさしすせそ」の 「せ」を当てる問題が出たそうだが、
テレビのweb CM特集とやらで、『合コンでできる女のさしすせそ』というのがやっていて
— さかっち@不夜城の社畜 (@narushimaruna) 2017年7月29日
さすがー!
知らなかったー!
すごーい!
せ『 』(ここがクイズ)
そうなんだ~!
ってなってたんだけどどう足掻いても『セルリアンだぁー!』しか浮かばないしサーバル声で浮かぶ
「セルリアンだぁー!」しか思い浮かばなかったのも、「せ」が相手を持ち上げる構造から逸脱しているせいかもしれない。